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案山子

店頭に案山子を立てています。
みなさん立ち止まって見てくれます。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
「案山子」という字をあてる理由は判然としないが、一方「鹿驚」という表記もある。また、「カガシ」とも呼ばれ、日葡辞書にもこちらで掲載されている。またカカシではなくソメ(あるいはシメ)という地方もあり、これは「占め」に連なる語であろう。

「かかし」の直接の語源は「嗅がし」ではないかとも言われる。獣肉を焼き焦がして串に通し、地に立てたものもカカシと呼ばれるためである。これは上述のとおり嗅覚による方法であり、これが本来の案山子の形であったと考えられる。人形としての案山子は、神の依り代として呪術的な需要から形成されていったものではないかとも推察できる。


案山子は黙って立っている。
心に秘めたまま。
何も語らず、ただ見つめている。
あなたのことを。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

安部ちゃん。おはようございます。
松江はいかがですか・
運命を開くはいい本ですね。
もう一度読み直してみます。ありがとう。

Posted by: 店主 | 09/29/2007 at 08:17 AM

安岡正篤先生の「運命を開く」からの抜粋です。

(前略)
 それで、どうして案山子という文字を当てはめるようになったか、これは誤ってああいう文字を使うようになったようです。いつ頃からああいう文字を使うようになったか。おそらく禅が日本に入って以来、日本人が禅書を読むようになってから、しかもそれが相当に人口に膾炙するようになってから、元に滅ぼされた宋の禅僧などが、ずいぶん逃げてきた。たとえば鎌倉時代に有名な無学(祖元)禅師もその一人であるが、それらの人々に鎌倉武士連が帰依して、それから五山あたりが中心になって盛んに禅書が広まった。その頃から案山子という言葉が使われるようになったと思われます。
 それで禅書を見ると、案山子というのは何もカカシのことじゃない。あれは家を作るとき、たいてい山野を自然に取り入れて見晴らしの良いように室を工夫する。座敷から見晴らす正面の山を主山という。その山の側に控えた山が輔山。。それから書斎のすぐ目の前に小山があるべきである。これを自分の机と差し向かいにあるから、”ちょうど机のような”という意味で「案山」という。「面前の案山子」などとあるのはこれである。それを面前にたっておるカカシと間違えて、いつの間にか「案山子」と取り違えてしまった、というのが本当らしい・・
(後略)

Posted by: abe | 09/27/2007 at 11:04 PM

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